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工芸を超えた究極のアート

江戸時代後期、漆の世界にこれまでにない革新的な加飾技法を生み出した
ひとりの漆彫師がいました。その名は玉楮象谷(たまかじぞうこく)。
「蒟醤(きんま)」「存清(ぞんせい)」「彫漆(ちょうしつ)」の三技法で
生み出される、表現豊かで洗練された漆の世界は、まさに工芸を超えた究極のアート。
象谷が切り開いたのは、自由で新しい漆の表現世界。こうして花開いた香川漆芸の伝承により、
これまでに6人もの人間国宝を輩出しています。

玉楮象谷 Tamakaji, Zokoku

玉楮象谷《彩色蒟醤料紙硯箱》
自由で新しい発想を求めて漆の歴史を変えたイノベイター。

讃岐・高松に生まれた玉楮象谷は、東本願寺や大徳寺などが秘蔵する中国やタイ、ミャンマーなどの漆芸作品に接し、彼の創作意欲は大きく刺激されました。
その後、多くの漆芸技術の知識を高松に持ち帰った彼は、松平頼恕(第九代藩主)によって才能をみいだされ、藩の宝蔵品の管理・修理も任されるようになり、それらをつぶさに観察し、自分の技術として発展させました。その研鑽が実を結び、玉楮象谷独特の漆芸技法を確立しました。当時主流であった蒔絵にかわるものとして、中国・東南アジアの漆芸技術を消化して、日本独特の技法を開発したのです。これらの技法は、今日では「蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、彫漆(ちょうしつ)」として香川の地で発展し、「香川の三技法」と呼ばれています。

香川の三技法

流派を超えて、自由で新しい発想を追い求めて生まれた超絶技巧。

江戸時代は金銀粉をもちいた絢爛豪華な蒔絵が主流でした。
玉楮象谷は、蒔絵に追随することなく、むしろ新しい技法で漆芸を極めようと、独特の技法を生み出しました。
蒔絵のように特別の流派もないため、かえって自由で、しかも新しい分野に新しい発想で取り組めたのです。
現代であれば、玉楮象谷の漆芸にのぞむ姿勢は、新しい産業を興そうとしている起業家精神に似ているとも言えます。

磯井如真《蒟醤干菓子盆 亀鶴松竹梅之図》
蒟醤 Kinma

器物の上に漆を十数回塗り重ね、蒟醤剣で文様を彫ります。そして、彫り込みを入れた溝に色漆を埋め、表面を平らに研ぐことによって、思うような文様を表現する技法です。タイやミャンマーより伝わり、さらに、室町時代、中国を経て日本に伝わりました。

これまで、5人の重要無形文化財保持者(人間国宝)を輩出しています。

香川宗石《讃岐漆 存清花蝶紋 色紙箱》
存清 Zonsei

漆を塗り重ねた器物の表面に色漆で文様を描きます。
そして、剣で輪郭や細部に線彫りを加えて素彫りにしています。
玉楮象谷は、この技法で存清の作品を制作しています。
現在では彫り口に金粉や金箔を埋めて文様を引き立てます。

音丸耕堂《彫漆八仙花香合》
彫漆 Choshitsu

各種の色漆を数十回から数百回塗り重ねて色漆の層(100回で厚さ約3mm)をつくり、その層を彫り下げることによって文様を浮き彫りにする技法です。彫りそのものによる立体感と彫りの深さによって生じる色層の変化の対照が、独特の美しさを生み出します。
室町時代に中国から日本に伝わり、彫りの技術に優れている玉楮象谷は、この彫漆技法を用いて作品を制作しました。朱漆だけを塗り重ねたものを堆朱(ついしゅ)、黒漆だけを塗り重ねたものを堆黒(ついこく)といいます。
現在では、顔料の発達により、さまざまな色漆が使われています。

彫漆においても重要無形文化財保持者(人間国宝)を輩出しています。

香川県漆芸研究所

象谷のスピリットを次世代へ受け継ぐ全国最初の後継者育成施設。

香川県漆芸研究所は、香川県の伝統工芸である蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、彫漆(ちょうしつ)などの技法を保存し、
後継者の育成と技術の向上を目的とする全国最初の施設として、1954(昭和29)年11月設立。
現在、香川県漆芸研究所の修了者(研究生)は450人を超えており、
漆工芸作家や漆工技術者として活躍するなど、香川の伝統漆工芸や伝統産業の振興に寄与しています。
2013(平成25)年には、山下義人指導員(第15回修了者)が当研究所修了者として初めて
重要無形文化財蒟醤保持者(いわゆる人間国宝)に認定されました。