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讃岐・高松に生まれた玉楮象谷は、東本願寺や大徳寺などが秘蔵する中国やタイ、ミャンマーなどの漆芸作品に接し、彼の創作意欲は大きく刺激されました。
その後、多くの漆芸技術の知識を高松に持ち帰った彼は、松平頼恕(第九代藩主)によって才能をみいだされ、藩の宝蔵品の管理・修理も任されるようになり、それらをつぶさに観察し、自分の技術として発展させました。その研鑽が実を結び、玉楮象谷独特の漆芸技法を確立しました。当時主流であった蒔絵にかわるものとして、中国・東南アジアの漆芸技術を消化して、日本独特の技法を開発したのです。これらの技法は、今日では「蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、彫漆(ちょうしつ)」として香川の地で発展し、「香川の三技法」と呼ばれています。